からだで作る芸の思想

昨日の高島屋SCへの目的の一つは蔦屋書店。台湾の誠品書店を彷彿させるようで、芸術や哲学の本がずらっと並んでいて、あれこれ立ち読みしているといつのまにか時がすぎています。

 

気に入った本は購入して葦島珈琲店で読むのも楽しい一時です。週末は混むのでウィークデーの開店時が狙い目です。

 

昨日買った本は「からだで作る芸の思想」

 

武術とお能のお話です。著者の能楽師の安田登さんは能楽をわかりやすく解き解いた本を何冊も書いており、一家に一冊!と思って即買いしてしまいました。

 

私のお能のお稽古は謡を鸚鵡返しのように謡い、鸚鵡返しになっていない箇所を指摘され矯正するといった内容です。

 

小さい頃からバイオリンとピアノ、思春期に吹奏楽器、ジャズやロック、大人になってからは中国音楽の経験まであるので、レイトスターターといえども超余裕と思っていましたが、全然できなくて最初の半年はダメ出しの嵐でした。一番滑稽だったのはチューナーを忍ばせてその通りに声を出したというのに、即座にお師匠から「違います!」

 

本によればお弟子が下手であれば歌っている最中に掃除機をかけ始めるお師匠さんもいるらしく芸の道は厳しいようです。

 

似たような経験が二胡であり、7年目で大きな躓きがありました。テンポも音程も完璧に演奏できるのに機械のようにただひたすら前に進むだけなのです。

 

現地に赴くと深くて渋い味わいの立体的な演奏を数多く耳にしましたが、どう教えてもらってもそのようにはなりません!

 

並行してジャズベースや琵琶を習ったり、いろんな角度から勉強しているうちにコロナと夫さんの大病があり全て止めることになってしまいました。

 

謡は去年から始めたのですが、意外なことに自分の二胡のどこがどうまずかったのかわかるようになりました。

 

西洋音楽は数学と比率、スポーツのような反発力が重要ですが、二胡演奏においてもそこに重きを置いて演奏していました。

 

それが今年ぐらいからだんだん手首でなく前腕を使って弾くようになり、自分で聴いていて心地が良いと思えるようになりました。

 

反発力の利用は西洋音楽が体に馴染みすぎて取り去るのは容易でないと思いましたが、吉野天人の「雲に残りて失せにけり」の消えて行く「けり」をマスターしたあたりから、なんとなくコツがつかめるようになりました。

 

日本語の「けり」は難しくて、過去形、感動、現在をも表します。これを音楽でやるとふわっと時空を超えた不可思議な感じになります。これが三次元的というか、一方向に黙々と進む感じに見せないポイントかもしれません。東洋文化の影響を受けたラヴェルやカザルスなども取り入れているように思います。

 

シニア犬の状態が心配でなかなか劇場にも足を運べなかったのですが、来年は和楽器の演奏を生で聞いてみたいと思っています。