お稽古が始まる前までの経緯

 今日は友人のお誕生日祝いでパークハイアットに行きます。楽しみ、楽しみ。。

 

私の新しい邦楽のお稽古について盛り上がりそうですが、よくよく考えたら邦楽歴ゼロの還暦前からのお稽古です。

 

去年母が亡くなっていないとまだココに辿り着けていないと思います。

 

父が亡くなった後、母は9年余り京都で過ごしました。

 

生活に慣れた頃、突然外祖母がやっていたアレ(能楽)をやりたいと言い出しました。

 

京都は能楽の教室も催しもたくさんあり、老年期に気を紛らわすのにぴったりと快諾しましたが、なぜか母はしばらくして勝手にゴスペルを始めて、元々英語が得意だったせいか能楽よりゴスペルの方に力を注いでいたようです。そうこうするうちにコロナがやってきて両方ともできなくなってしまいました。

 

母の言い訳としては能楽は敷居が高いということでしたが、外祖母が半世紀ぐらいやっていたのでほとんどの謡は聞いたことがあるそうです。

 

母が亡くなった後しばらく呆然として昔の思い出に耽っていましたが、遺品の謡本が残っていて、思い出すのは小学生の頃外祖母の家に能楽師のお師匠さんが出稽古して一緒に歌っていた光景です。

 

「よしつねが、よしつねが。。なんとかそうろう。。」

 

発表会らしきものもあって面をつけた外祖母は大きな薙刀を振り上げていました。当時の私はバイオリン少女だったので全く別世界でしたが、女性ながらも大きな組織のトップに立っていた外祖母は声がずしんと響いて威風堂々としていました。

 

外祖母の孫は全部で四人。本家の三人は小学校の時はずっと剣道をやっていたそうです。その後全員ドクターに。一方私はバイオリン。。ははは、ヤワだわ。。

 

よーし落ち着いたら、謡だけでもやりたい。。

 

外祖母は京都出身だったので、「一周忌を過ぎたころに知り合いがいたらお願いします。」と縁者に声をかけていたのですが

 

それから3ヶ月過ぎた頃、理想の能楽師さんに出会ってしまったのです。それが今のお師匠です。初対面はめちゃくちゃ怖い会社の先輩という印象。。ですが私より年下のようです。。。

 

大人になってからの習い事(二胡、ジャズ)では師匠選びに苦労しています。父の転勤が多かったにもかかわらず、バイオリンやピアノでは一生付き合いできるような良い先生に師事できて、これも目利きが出来た母のお蔭と今頃感謝しています。

 

自分で師匠を探すのは本当に難しいです。

 

闇雲に動いた失敗談から学んだことですが、有名な先生イコール良い指導とは限らないこと、レッスンの振り替えが効かなかったりイベントや発表会などの強制は、仕事で忙しい自分には向かないこと、

 

譲れないポイントは絶対的にその先生の演技(演奏)が自分好みであること、基礎を重視して手取り足取り細かく指導してくれること。

 

二胡は日本人の先生二人に師事しましたが、演奏が好みの先生は伝える力が今ひとつ、手取り足取りの先生は先生自身の演奏が好みではない(非常に西洋的)という悩みがありました。

 

今回この二つが揃っている師匠に巡り合ったのであれば、千載一遇のチャンス!師事しないわけには行きません。

 

そういうわけで予定よりかなり前倒ししてお稽古が始まりました。お稽古はめちゃめちゃ難しいです。なんせ幽玄の趣を音声に盛り込んでいくのです。。

 

母が謡を放棄してゴスペルに走った理由もわかりました。私は海外で生活していたしジャズピアノも勉強していたのでゴスペルには入りやすいです。譜面を演奏して楽しくなります。

 

でも私は絶対に謡!骨董品のような何かすごいポテンシャルのあるものに出会ったような感覚があります。