聴講してきました

能楽の「弱法師(よろぼし)」の講義を聴講して来ました。

 

事前に送られてきた謡本のコピーを印刷すると、なんとA4に9ページも入っています!

 

本番中に段と段の繋がり方がわからなくて、一ページ目の上段から中段に移らずに、そのまま二ページ目の上段を進むようで、このことが分かるのに数分要しました。(汗)

 

弱法師は幼児期を過ぎたぐらいに、現代劇バージョンに連れて行かれた記憶があります。能楽からインスピレーションを得て、三島由紀夫寺山修司折口信夫が劇作を書いていますが、私が見たものが誰の作品かは覚えていないです。

 

今回聴講にあたって下調べをするとちょっとエグいお話ですね。

 

能楽では、ある金持ちの後添えが自分の生んだ子を跡取りにしようと、先妻の子に呪いをかけて病気にして追い出すという典型的な継子イジメの話になっていますが、現代劇バージョンでは、先妻の子を「異性」として愛した継母が、歪んだ愛の形として継子を虐待するという話です。そりゃ小学生の私にわかるよしもありません。。。

 

能楽は恨みつらみでも美しい表現をとるそうです。例えばイジメでボコボコにされても、私の前世が悪かったから今の辛い現世があると考えるそうです。

 

能楽「弱法師」では、長者の父が癩病に罹って追い出した我が子を不憫に思い、幸せな来世を祈るために一週間四天王寺にお参りをします。

 

一方追い出された息子は追い出されたことで父に孝行できる時が短くなって申し訳ないと考えます。←健気ですね。。。😭

 

今回の講義の重要ポイントは「日想観」。始めて聞く言葉でしたが、極楽浄土に行くための修行の方法の一つだそうです。

 

まずは姿勢を正しくして西日を見て、その姿を頭に焼き付けて、目を瞑っても西日が浮かび上がるようにします。おそらく気持ちがブレないための修行と思われます。

 

四天王寺上町台地の上に建っており海抜が高くなっていて、昔は近くまで海が迫っていて西日が美しかったそうです。

 

日本書紀によると、崇仏派(仏教の受容派)の聖徳太子蘇我馬子は排仏派の物部守屋と激しく戦い、勝利した聖徳太子が勝利祈願の御礼として建立したのが四天王寺だそうです。寺の運営資金は物部氏から没収した奴婢と土地が使われたという経緯があります。

 

また四天王寺は日本初の福祉施設であり、敬田院、悲田院、施薬院、療病院と四つの施設があり、いずれも貧しい人を専門に診ていたため、癩病に罹って行くあてのない弱法師こと俊徳丸がそこに留まり、来世の願掛けにきた父親と再会するという設定になっています。

 

今回は師匠の謡の朗詠はなかったのですが、昔大阪城の付近に住んでいたので次々出てくる地名が懐かしかったです。

 

それにしてもこの歳でこういうものに出会って良かったです。