一昨日YouTubeで二胡奏者の方が音楽教室の閉鎖性についてお話していました。
確かに楽器は教室指定のものに限る、発表会は強制参加、単独の音楽活動は許可が必要という教室も存在します。
この奏者さんはあれもダメこれもダメと閉鎖的になると市場自体が育たないのでもっとオープンにすべきというご意見でした。
昔はお弟子さんがお師匠さんに芸に専念してもらうために、お月謝や免状の謝礼を渡して生活の面倒を見るのが普通でした。
お弟子さんも一定期間の修行の後は同じ花道が用意されていました。
年功序列と似ていますね。弊害ばかりが指摘されていますが、先輩たちが安心して年をとれるというのは次の後輩たちにとっても安心です。
少子化の今、先輩たちを支える後輩たちの人数自体が減り、そういう意味で伝統文化は大きな危機を迎えていると思います。
二胡は八十年代に日本に上陸しましたが、当時中国が経済解放をしていなかったため、楽器も教本もしっかりとしたものが入ってきませんでした。
楽器は先生のツテを頼るしかなかったのですが、入手手段が限られたため粗悪なモノが出回ったと聞きます。
九十年代初頭に仕事で中国に行った折、敦煌という中国の学校で使用される二胡を買ってきましたが、当時はワシントン条約が適応されず、野生動物を使用した稀少なものでも持ち込み放題でした。
敦煌二胡はバイオリンの第一ポジションで弾けるような曲を適当に弾いた後飽きて十五年ぐらい放置します。
2009年に教えている先生と直接ご縁ができて正式に習うようになりました。
その時に敦煌を持って行きましたが、今もしっかり健在しています。
敦煌は千円程度。小学校時代のバイオリンの弾きにくさを思い出しますが、真面目な音です。(笑)
二胡がずっと続いたのは最初の教室に家元制度の厳しさがなかったかもしれません。
一冊の教本が終わるぐらいに黒檀の本格的なものを購入しましたが、教室指定の楽器店ではなく神戸のお店で購入しました。
教室指定の楽器店は店主が職人気質というか商売っ気ゼロでした。(笑)
先生は基本的に自由でしたが、妥協しなかったのは使用する教材で、楽曲は全て中国の楽曲でした。
次に師事した先生も楽曲が中国というところはこだわっていました。
これに関しては私はまだ理由がわかりません。
二胡の教本は進度が速くて、いきなり16分音符が出てきます。
バイオリンの篠崎やホーマンであれば導入までにしっかりとした基礎練習があるというのに。
私は自分が教える時は、楽曲はバイオリンのものを多く取り上げています。その方が基礎が積み上がりやすいと密かに感じています。
ところで本日のお題の家元制度についてですが、自分自身観世流の教本を使って先人の作った制度の恩恵を被っています。世阿弥は後世に書物を残さなかった犬王の舞も取り入れていると言われ、そう思えば嬉しさで胸が震えます。
ということで閉鎖性は良くないと思いつつも、メリットも感じています。
以前所属していた二胡教室の他の生徒さんは邦楽の免状を持った方が多かったですが、楽曲の捉え方が自分と違うものがありました。
その違いが何から来るものかまだ探求中です。
と中途半端な文になってしまいましたが、本日も読んで頂いてありがとうございました。
週末のコーヒー店にて